針生発電所の歴史

 大正5年8月1日,当時僻遠の地といわれた南山地方に文化のあかりを灯そうと植升与作他14名の有志により,田島銀行内に事務所を設け,社長に渡部又八を押して田島水力電気株式会社を創立、高野発電所(水カ16kW)を建設,田島町他2ケ村に電灯電力の供給を行った。その後需要が伸び,大正8年姫川発電所が施工、150kWを発電した。

昭和6年7月針生発電所が竣工同地方に対する供給の親発発電所として一役を果たしてきた。同所は田島町西方10q、南会津西部越えの難所駒止峠の登口にある。 流域面積30平方キロメートル,七ツ岳より湧き出る5つの沢を集めて桧沢川となる地点に溢流堰堤を築き蓋渠1,200mにて導水し,落差60m,最大出力380kW,横軸フランシス水車,発電機の設備であった。

 その後兄貴分にあたる姫川発電所が昭和19年11月に撤去、南方に招集され戦争に協力?するわけであったが日の目を見ずに終わった。

 小発電所ではあったが利用率は高く年間約2,000MWHを発生,フルに稼働していた。しかし37年間の運転で諸設備の損傷は著しく、採算上不利なばかりでなく,保安上も信頼度が低下しているので,昭和43年7月30日廃止された。取水堰堤は補強されて砂防用として残ったが、他の設備は全て撤去され、現在はコンクリートベースのみ残っており、発電所の名残りをとどめている。